最近のニュースで工藤静香さんが自身のSNSで家族との思い出を語っていたことをご存知でしょうか?
工藤静香さんの生い立ちは、多くのファンにとって興味深い話題ですが、誤解もあったりしますね。
工藤さんの父や母、そして兄弟とのエピソードは、驚きと涙なしには語れません。
ちょっと大げさですが・・・。
工藤さんは若くして父と兄をそれぞれ亡くしています。
これは彼女と母親にとっては非常に辛いものだったことでしょう。
このような生い立ちが、工藤さんの現在の姿にどのように影響を与えたのか、気になるところです。
この記事では、工藤静香さんの父母や兄弟との慟哭の別れを振り返りながら、彼女の生い立ちについて詳しく見ていきたいと思います。
ちなみに筆者が一番好きな彼女の曲は、もちろん「慟哭」です。
もくじ
工藤静香生い立ちは薄幸だった?
この時代に生まれて工藤静香さんと結婚したかった pic.twitter.com/vtzuE4uDup
— えの (@e0yhi) May 20, 2024
現在スーパースター「キムタク」の妻であり、CocomiとKōkiの二人の母親でもある工藤静香。
もちろん彼女自身もおニャン子クラブの人気アイドルとして一世を風靡しましたね。
そんな工藤静香さんの幼少期はどんな子だったのでしょうか?
ここでは幼少期からデビューの前までを見ていきましょう
4人家族の平凡で幸せな家庭だった!
静香さんは、1970年4月14日、埼玉県朝霞市の病院で生まれました。
名前は、鎌倉時代の武将である源義経の愛した「静御前」から付けられたそうです。
家族は両親と兄の4人家族でした。
お父様は青森県出身の板前さん、お母様は美容師さんというご両親のもと、幼少期は青森と東京都西多摩郡羽村町(現在の羽村市)で過ごされました。
ご実家は「ラベンダー」というスナックでした。
幼稚園は村野小鳩幼稚園に通い、町立栄小学校に入学。
その後、中学3年の時に新宿区立四谷第二中学校へ転校されました。
劇団「東俳」にも所属して演劇の勉強をしたようです。
どんなお芝居に出演していたのか、想像するだけでワクワクしますね。
幼少のころは決して薄幸ではなく、愛情いっぱいの両親に育てられました。
中2の時にミスセブンティーンの特別賞を受賞し、高校進学後にはおニャン子クラブからデビューしました。
そしてデビュー以降の活躍は皆さんの知る通りですね。
名前の由来には両親の深い思いが?
静御前からとったと言われていた名前ですが、その命名時にエピソードがあると彼女自身が最近インスタで告白しています。
両親は「静香」と「愛絵理」(あえり)という名前のどちらにするか迷った末に、静香に決めたそうです。
彼女が穏やかで美しい人生を歩んで欲しいと願って名付けたのでしょうか?
それともよほど源義経のファンだったのでしょうか?
実は義経は不幸な最期を遂げています。
工藤愛絵理だったら今の工藤静香さんは存在しなかったかもしれませんね。
「愛絵理」は彼女のペンネームとして頻繁に見かけます。
さらに、工藤静香さんは特異体質を持っていることも告白し、ファンを驚かせました。
それは「ショートスリーパー」であること。
つまり、睡眠時間が極端に少なくても健康体でいられるということです。
これはアーティストにはとても良い条件ですね。
次に、工藤静香さんの父親の職業や家族生活について詳しく見ていきましょう。
父は銀座の料亭で板前だった!
工藤静香さんの父親、勘七さんは銀座の料亭で板前として働いていました。
そして当時実家のあった東京都羽村市で小料理屋を営んでいました。
お店はおそらく出身地の名を取って「津軽」という名前だったそうです。
工藤さんは父親の故郷の青森で、少しの間住んでいたこともあるようです。
一時期「工藤静香の父親はやくざ?」という噂が流れたこともありましたが、これは完全にガセです。
そして何よりお父さんはお母さんをとても愛していた様です。
彼女の生い立ちは、このようにして父親の愛情と努力に支えられていました。
父親が健康な時には決して薄幸ではなく、幸せだったようです。
次に、家族を支える母親について詳しく見ていきましょう。
娘そっくりな美人の母
母親の武子さんは北海道富良野市出身です。
13人兄弟の末っ子で、明るく前向きな性格を持っていました。
静香さんは母親の影響で美容に関心を持つようになりました。
武子さんは結婚後は夫が営む小料理屋を手伝い、夫婦仲良く過ごしていました。
子宮がんを患い、5年間の闘病生活を余儀なくされましたが、それを乗り越えて今は80歳を超えていますがご健在です。
武子さんの強さは娘である静香さんにも受け継がれています。
また静香さんの美貌は母親譲りと言われています。
両親への感謝
工藤静香さんは、両親に対して深い感謝の気持ちを抱いています。
彼女は、成功した後、両親に家をプレゼントしました。
これは、両親が自分を支えてくれたことへの感謝の表れです。
工藤さんは、両親から受け継いだ愛情と教えを大切にしながら、自身の道を歩んでいます。
工藤静香父母や兄弟とは慟哭の別れ!?
おはようございます🌤🫧
日曜日の朝を迎えました✔🗓
今日は工藤静香ちゃんのコンサート🎶🎶🎶に行きます🚋💨
久しぶりに楽しみ🥰
今日もよろしくお願いします✨ pic.twitter.com/ejFiFLbGTE— 🦋⋆͛🦋⋆͛Kazu⋆͛🦋⋆͛🦋 (@Mkazu2022) May 11, 2024
工藤静香さんの生い立ちには、父親や兄弟との悲しい別れが深く刻まれています。
父親の勘七さんは病気で亡くなり、お兄さんもまだ10代の時に亡くなっています。
彼女はまだ中学生でした。
突然の別れは、工藤静香さんとその家族にとって大きな悲しみとなりました。
この出来事は、工藤静香さんの心に深い傷を残しました。
誰にとっても大切な家族との別れは悲しいものですが、特に若くして亡くされたときには、残された家族にとってその悲しみは計り知れないものです。
これらの出来事は、工藤静香さんの人生に大きな影響を与え、彼女の強さと優しさを形成する一因となりました。
それでは、まず父親との別れについて詳しく見ていきましょう。
62歳で早逝した父
1996年、工藤静香さんと父・勘七さんは親子で二科展に入賞し、話題となりました。
勘七さんは、静香さんの影響で絵画を趣味とし、静香さんにとってかけがえのない存在でした。
親子ともども絵の才能があり、「父親は画家?」とも噂されたほどでした。
実はお父さんの絵は、娘の静香さんに刺激されて始めたという噂です。
しかし、2005年、勘七さんは62歳という若さで虚血性心不全でこの世を去ってしまいました。
静香さんは父について「情に厚く愛情が底なしに深く、ハンサムでとてもチャーミングな人」と語っています。
2000年に木村拓哉さんと結婚し、CocomiさんとKokiさんを出産した静香さんにとって、父との死別は大きな悲しみとなりました。
静香さんは、マスコミの騒ぎを避けるため、父に孫たちの顔を見せる機会が少なかったことを悔やんでいます。
次に、兄弟との別れについて見ていきましょう。
10代で逝った兄
工藤静香さんの2歳年上のお兄さんは、悲しい事故で亡くなっています。
彼はバイク事故に巻き込まれ、若くしてこの世を去りました。
17歳でした。
この時の静香さんは15歳、中学生という多感な年ごろでした。
この出来事は、家族全員にとって非常にショックなものでした。
工藤静香さんは兄をとても慕っており、その別れは彼女にとって大きな痛みとなりましたが、彼女はそれを乗り越え、芸能界デビューを果たしています。
兄の死後、家族のためにさらに努力を続けました。
彼女の生い立ちは、多くの試練と悲しみに満ちていますが、それが彼女の強さと優しさを形成する一因となっています。
まとめ
やっぱねぇ、工藤静香は深夜に聞く「慟哭」が1番イイね。歌詞の一言一句でホントに心締め付けられるんだけど、それが良いのよ。 pic.twitter.com/y8Zm49nIvQ
— N@kaji (@KitakuNoTaneuma) December 21, 2023
工藤静香さんの生い立ちは、ごく普通の幸せな4人家族でした。
板前、料理人の父と美容師の母、そして兄弟(兄妹)という家族構成です。
しかし彼女が中学生の時に2つ上の兄がバイク事故に巻き込まれて亡くなりました。
家族はさぞ慟哭に咽んだことでしょう。
しかし、その悲しみを乗り越え、彼女は芸能界での成功を収めました。
工藤さんの父親は料理人として家族を支え、母親も働き者で家族を支えてきました。
彼女は両親への感謝を忘れず、成功後に目黒に家をプレゼントするなど、家族を大切にしてきました。
ところが今度はお父さんが62歳という若さで亡くなりました。
工藤さんの人生には、二人の肉親を若くして亡くすという困難がありましたが、それが彼女の強さと優しさを育んだのです。
家族との絆を大切にし、今もその愛情を胸に抱いている彼女の姿勢には、多くの人が共感しています。
工藤静香さんの生い立ちと父母と兄弟との絆は、彼女の人生において欠かせない重要な要素です。
キムタクの妻、そしてCocomiとKōki姉妹の母として、彼女はこれからも活躍を続けることでしょう。
今夜はまた彼女の「慟哭」を聴いて寝ます。
コメントを残す